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zoom RSS 家族が亡くなると関係がギクシャク

<<   作成日時 : 2016/02/06 08:45   >>

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12月19日に父が亡くなり、その四十九日が先週終わり、少し落ち着いたかなという感じ。

死後1年くらいは何かと忙しいと言われたけど、そのとおりまだまだ何かと気ぜわしいのは確か。

この間、家族(姉弟=自分)の連携より亀裂が深まったと感じられる毎日だった。

(父は)9月に入院し、完全介護の病院なのであまり顔を出す必要はなかったはずが、わがままを言ってしょっちゅう看護師等を困らせていたので、仕方なく1日おきくらいで自分たち姉弟が顔を出していたのが現実。

ま、自分は顔を出さない日もあったし、姉が行くなら俺はいいかな、という日もあったし。

妻にも俺がそんなに行かなくてもいいと言ってあったので、妻もあまり病院には行ってなかった。

しかし姉は交代で行こうと言ってあったのにもかかわらず、ちょくちょく顔を出していたので、そこを「よくやった」という身内も少なくなく、姉の娘=姪などは、「うちの母は頑張っていた」とみんなに言いふらしていた。

逆にいえば、息子なのにそっち(=自分のこと)は顔を出したり出さなかったり(の悪いヤツ)。

その上、きついことばかり言って病人に冷たく当たっていた自分は、まるで「殺人鬼だ」とも姪に言われた。

そもそも、自分は家を出て別に所帯を持っている身。

兼業農家で、江戸時代からここに住み、わずかばかりの田畑や山がある家の次男坊である身。

長男は若くして事故死、姉は勝手に家を飛び出した人。

傍から見たら「次男が家に入る(跡をとる)もの」と思われているのだろう。

葬儀も、特に話し合うまでもなく自分が施主(喪主)を務めた。

とはいえ、ふだんからウチにはいないうえ、田舎の付き合いなんてしていなかった自分にとって、田舎の(古い?)しきたりに沿った葬式なんてできるはずがない。

誰に連絡し、誰を呼ぶかでもめ、隣組にどうして(何をして)もらうかもわからず、相談相手すらわからない。

なのに「こういうときはこうするもんだ」という言い方をされる。

挙句には、姪から「動いているのはウチの母(=姉)だけで、施主の奥さん(自分の妻)は何もしていない」とも言われ、聞こえよがしに皮肉や文句が聞こえた。

だって結婚の際、田舎の付き合いはしない約束で結婚し、毎年実家にはあいさつ程度にしか顔を出していない者が田舎のやり方が分かるはずもない。

それを比べるのが所詮ムリ。

その姪、うちら家族が憎いのはわかるとしても、面と向かって言うのではなくて、近くから聞こえるように言う、嫌なやり方。

その上、それを聞いても止めるばかりか、同調してしまう姉。

ウチでは小さいころから、言われて言い返したら同じ土俵で戦うことになり、損をするのはこっちだから絶対に乗るなと言ってあるから、ひたすら我慢していた息子たち。

家に帰って愚痴はこぼすけど、よそではひたすら我慢をしている。

言いたくはないけど姪、たとえ我らが憎くても、顔を合わせたら「こんにちは」「おはようございます」くらいは言ってもいいと思うけど、それもなし。

そして客人がいる席ではせっせとお茶を出したり座布団を出したりするけど、他人がいないところでは座って菓子を食べたり、テレビを見たり好きなことだけをしている。

そのくせその食べたり飲んだりしたものは片付けもせず、そのまんま。

結局、姉貴夫婦の甘やかしによって育てられた姪がわがままに振る舞い、それを止めない姉に嫌気がさした我が家族と言う図式。

四十九日が過ぎ、なんとか一段落。

それまで、足が不自由な一人で実家に住む母を交代で自分たちが見ていたけど、

四十九日以後も何かにつけて家に顔を出し続ける「いい娘」に見える姉。

仕事もあり、顔を出すか出さないかの自分は結局「悪い息子」なのだろう。

さらに線香をあげたり、必要な時にしかいかない我が妻は「悪い嫁」と思われているに違いない。

だけどね、自分の妻として結婚したわけで、実家の「嫁」として結婚したわけではないのだから、その妻に「嫁としての役割」を押し付けれても、本人だけでなく俺自身も面白くない。

おれのやり方が気に入らないなら、もう彼岸以降施主の立場を替わってくれていいとも言ってるのに、

「そういう意味で言ってるんじゃない」と逃げる。

長年付き合いを拒んでいたのに、今回顔を合わせるようになり、向うから自分の息子にお年玉をくれたけど、それも母を介して返してやった。

(なのに母が止めている!)

鬱憤のたまる日々に、もんもんたるものを抱える自分。

あ〜あ。






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ほんとうに大変でしたね。
仕事を持ち、休日も休めるか休めないか身で、お父様に寄り添うのは大変だったと思います。また、義理とはいえ、嫁として、周りの空気を痛いほどに感じながら過ごされた奥様も、大人になっている息子さんたちも、ご苦労があったと思います。よく頑張られましたよね。

言いにくいことを言ってくれるのも、息子だからこそ、
看護師さんたちも慣れているとはいえ、不満はあったでしょうし、また亡くなられたお父様も苦しかったことでしょう。

板挟みになりそうな奥様へ、理解のあるmizu-tさんが素敵なことだと思いました。
ひとひとり亡くなると、見えなかったことも見えてきますね、親戚からのこころない言葉など、頑張ったひとをうわべだけで傷つける人がいるのも事実ですし。

私も義父がなくなるまでの100日間の間とその後の1年間いろいろに感じました。亡くなる人は最後の仕事に、家族をひとつにして逝くのだなと。義母の陽気で寛大な性格も作用して、無理なくできる範囲で、できる人がローテーションで見舞いました。転勤ばかりで疎遠だった私たち夫婦と義弟夫婦が頻繁に顔を合わせることで、息子たちも良い関係になり感謝したものです。

そこには、気持ちよく旅立たせてやりたいという皆の気持ちがひとつになっていたからだと思います。

mizu-tさんのご家族が、ご先祖様に守られ、報われますようお祈りします。
みかんママ
2016/02/29 10:33
返信が遅くなりました。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去ると教わりましたが、ホントその通りでもう3月。
1月の末に四十九日が終わったと思ったら、今月にはもう新彼岸。
また憂鬱な時が来ます。
四十九日を最後に、姪はもう顔を見せることはなく、借りているシェアハウスに戻ったきりです。
父の入院中や四十九日まではしょっちゅう顔を出していたのに、です。
そして母はというと、手足がうまく動かせないのをいいことに、我ら(特に姉)に頼り切り。
自分から何かをしようとしなくなってしまいました。
そのくせ文句は言うのだから、困ったものです。
弱りゆく母、そして残されたわずかばかりの田畑等の財産の処分。
まだまだ大変です。
mizu-t
2016/03/02 20:34

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